心と体は表裏一体 頑張りすぎた心と体の反動

心の中に相反する感情.欲求.不健康から脱出のカギ

似ているイジメと紛争.戦争は何故おきるのでしょうか。

紛争やイジメこれについては、私もいろいろ考えました。

争いやイジメというのは一種の闘争で、加わっている人の多くは強制されてるものだと思うんです。

一種の争いやイジメのトップによる洗脳ですね。

イジメは、社会的に不正な行為であるとされており、その本質的な理由は、自分たちが所属する群れやグループを重視し、他者を軽視すること、または、他者を支配したり、自己のエゴや欲望を満たすために、他者を傷つけることを意図することが多いからです。

これは、紛争や戦争においても似たような原因があると言えます。

つまり、紛争や戦争は、基本的には、お互いに異なる意見や価値観を持つ集団が、自分たちが正しいと信じることを強く主張し、他者を軽視して、傷つけ合うことを意図することによって起こるからです。

紛争とイジメ
しかしイジメと紛争とは似て異なります。

対立とは、双方が意見を表明する不一致または議論です。

イジメとは、誰かが他の人を支配し、権力を行使することによって引き起こされる否定的な行動です。

イジメは、傷つけたり、傷つけたり、屈辱を与えたりすることを目的として行われます。

イジメの場合、関係する人々の間で権力の不均衡が生じることがよくあります。

権力は、社会的地位の向上、身体的地位の向上、または個人に対するグループの一部として定義されます。

イジメをしている人たちは、自分の標的を何らかの形で脆弱であると認識し、しばしば彼らを傷つけることに満足します。

通常の葛藤では、私たちは自分の行動を自己監視します。

そして手がかりを読んで線が交差しているかどうかを知り、それに応じて行動を修正します。

共感に導かれた人々は通常、誰かを傷つけたことに気づき、否定的な行動を止めたいと思うでしょう。

一方、危害を加えることを意図し、通常の対立を超えた行動をとる人たちは、誰かを傷つけていることを知っていても、行動を継続します。

私たちは「自由意志」があるという信念の下で生きているので、マインドコントローの考えに身震いします。

 以下に、いくつかの可能な争いの原因を示します。

政治的な原因:政治的な利害や権力争いが原因となることがあります。

国家間や政治集団間で、資源や領土、影響力を巡って対立することがあります。

経済的な原因:経済的な利益を巡って対立することがあります。

資源や市場をめぐる競争や、貿易や投資に関する問題が原因となることがあります。

文化的な原因:文化的な差異や信条の違いが原因となることがあります。

宗教的な信仰や、民族や集団の文化的な特徴が、対立を生むことがあります。

地理的な原因:地理的な条件や地理的な特徴が原因となることがあります。

資源や領土がめぐられる問題や、地理的に難しい地形が、対立を生むことがあります。

また、これらの原因が組み合わさって、さらに複雑な問題が生じることもあり自分たちの利益や信念を守るために、紛争を起こすこともあります。

争うイジメをする彼らは私たちをコントロールできないと考えるのが怖いのです。

何故なら争いやイジメを起こす方は、決まって臆病だからです。

そういう人は一人になるのが怖くて自分の周りにいろいろな陰謀をし人を陥れ自分の周りに人が集まるように一生懸命になります

しかし真実は、私たちの生存、自己イメージ、自尊心に不可欠であり私たちがそういう方に完全制御できることは決してないということです。

人々は、他の人の考えを恐れているために、物事を行い、物事を言い、さらには物を購入します。

多くの場合、私たちは孤立を恐れ団体行動、組織に参加します。

そうしないと、他の人が自分達を、悪く言っているのではないか?仲間外れにされるのではないか?ひどく考え恐れるからです。

周りの人に追いつかないのではないかと恐れて、洗脳されやすい人は、どんどん病んでいきますが、しかし恐れを持って生きる必要はありません。

例えば戦争は自分で決めてやるものではありません。

ただ行って、やって、それで終わりというものではありません。

負けたら自分の大切にしてるもの全て失います。

家族を守るためにそのために血の涙を流し闘わなければならないのです。

犠牲無くして平和は掴めない、と言いますが、まさしくそれは、私たちの心と体は表裏一体の裏の部分が強くでて、ある種の権力闘争だと思います。

戦争が終わり今度は破壊した国を創造するのも破壊と創造の表裏一体で恐ろしいですね。

人は争うと言うより、多くの生物は同種・別種と何らかの争いをします。

生存欲と性欲、この二つが最も強力な理由です。

生きるために、時には食料を争う場合があります。

自分か、もしくは自分の子孫を何とかして生き残らせるために争いが起きていわんや「死にたくない」から「戦って生を得る」わけです。

これが一番単純な理由。
生命の確保=危険にさらされたとき、命を守るために争う
安全の確保=生きるために安全な場所を確保するために争う


その次に来る「性欲」が複雑で性欲には様々な延長線上の「争いの原因」を生み出します。

■単純に自分の遺伝子を残すための争い=異性の取り合い
■異性の取り合いに有利になるための争い=強さの見せつけ合い
■ファッションで美しさを争う
■自分の収入の多さを争う
■肉体を鍛えて生存力の強さを争う
■知識を鍛えて生存の知恵を争う
その他もろもろ、殆どが性欲の延長線上
欲求五段階説に当てはめると、最も低次元な「生存」と「安全」それぞれの欲求にこそ争いの元があると言えます。

そしてこの二つの欲求は、例えば猫や鳥でも同じ事が言えております。

彼らも自分の命が危険にさらされれば、威嚇したり攻撃も自分に正直になれば、自分が勝てる戦争というのは、他人から強制されたものだけだということがわかると思います。

「優越欲求」と「支配欲」です。

下世話に言えば「オレ(わたし)はお前より優秀だ」ということを示さないと気が済まないのです。

歴史は他民族への侵略と自民族内での権力闘争の連続です。

そして、他者とのありとあらゆる違いが許せません。

下手をすると、鶏が先か、はたまた、卵が先かのレベルで言い争います。

バカバカしくなる理由で争いイジメや紛争ですよ。

少人数より大人数の集まりの方が実に不寛容かつ残忍です。

いじめ・パワハラ・セクハラ・誹謗中傷・差別などの原因はすべてそれです。

私たち人間はまだまだ幼稚かつ野蛮なのです。

私たちの住む世界には自分たちがやりたいことは何でもできると考える傾向が常にあると思います。

それが危ないですね。

実際、私たちは欲しいものは何でもできると教えられてきましたが実は何も身につけてないのです。

そういうふうに子供のころから教えられてきたのです。

ですから、戦争が私たちに何をもたらすかについて、私たちはある程度の責任を持たなければならないと思います。

自分の家族を守るには戦うしかないです。

bidanbijyo.hatenablog.com

何故争いやイジメをやめられないのか、争いをやめるには、相手の本性を暴く必要があります。人は誰しもが心に仮面をかぶって生きています。

本性を暴くのは容易ではなく、それができない限り争いは残念ですが永遠に終わらなく私たちの心の中は体と同じ裏表があり表裏一体で危ないのです。

強くないと【CELLA】